东京都中央区京桥1-7-1

初代 戸田利兵衛
※连结消去を含む
(2025年3月期)
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(本社?研究所?12支店)
(国内20社?海外29社)
(2025年3月31日现在)
创业者の戸田利兵卫は、京都の工匠(大工)の四男として生まれ、1881年、30歳の时に东京?赤坂で「戸田方」として请负业を开始。早くから鉄骨造や鉄筋コンクリート造に取り组み、今なお东京?叁田の高台にゴシック様式の秀丽な姿を见せている庆应义塾大学创立50周年记念図书馆や村井银行本店など近代建筑史上に残る名建筑を手掛けました。

慶應義塾大学 創立50周年記念図書館
この时期の代表的な仕事として、1914年に东京?上野で开催された大正博覧会の染织馆や、はじめて日本人の手で完成させたアメリカ式ビルとして名高い东京海上ビルディングなどがあります。また、子がなかった初代戸田利兵卫の养嗣子として东京帝大卒の富田繁秋を迎え、繁秋は1920年に2代利兵卫を袭名しました。

富田繁秋?二代戸田利兵卫

东京大正博覧会染织馆
1923年の関东大震灾の罹灾者用応急住宅12万戸のうち1万戸を受け持ち、全社一丸となって震灾復兴に従事。东京の小中学校鉄筋コンクリート化でも、20数校を请け负いました。この时期の主要工事には、早稲田大学大隈讲堂をはじめ、日铁釜石突提や、爱知?富山?栃木の各県庁舎、横浜税関庁舎などがあります。
1945年に终戦を迎え、日本国中が荒廃する中、いち早く国土再建に立ち上がったのは建设业でした。当社も日本全国に支店や営业所を设置するなど、全国组织の総合建设业としてのネットワークを确立していきました。

早稲田大学 大隈講堂

日铁釜石突堤
高度経済成长期とともに当社も発展し、旧东京都庁舎、横浜市庁舎、早稲田大学文学部校舎など着名建筑物を手がけています。1956年には土木部门を新设し、名実ともに総合建设业者としての组织を确立。土木工事においても粘り强く努力を重ね、都営地下鉄1号线押上地下鉄、箱根バイパス天狗桥などを施工しました。

旧东京都庁舎

箱根バイパス天狗桥
1963年に社名を「含羞草传媒」に改称。1969年には、東京証券取引所第2部への株式上場を果たし、その後、第1部に指定替えとなりました。1964年開催の東京オリンピックに向けて当社では建築部門で驹沢陆上竞技场を担当、また関連工事として首都高速道路の数工区、さらに名神、東名の高速道路、新幹線工事と発足間もない土木部門も飛躍的な発展を遂げました。
また、オイルショックによる难局を乗り切り、本格的に海外事业をスタート。1972年にブラジル含羞草传媒、アメリカ含羞草传媒を设立、その后、韩国、ビルマ(现ミャンマー)、スリランカ、パラグアイ、ボリビア、リビアなどで工事を受注、数多くの実绩を残しています。

驹沢陆上竞技场

日本万博 スイス館
1981年に创业100周年を迎え、筑波技術研究所建設、研修施設の建設、戸田育英会の設立などを行いました。この時期の代表的な工事としては、東京都立広尾病院、福岡市美術館、昭和女子大人見記念講堂、歴史民俗博物館、つくばセンタービル、京都東急ホテル、対马空港拡張工事などが挙げられます。

対马空港
1995年に発生した阪神?淡路大震灾では、全社を挙げての救援?復旧支援活动に従事。同年3月には神戸支店を设立し、復兴工事の一端を担いました。また、2000年には建设会社で初のゼロエミッションを达成。环境课题解决のトップランナーを目指して、地球环境の保全?再生に取り组み続けています。
この時期には、横浜みなとみらい21のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル、早稲田会館、饭田ダム、塩川ダム、JR東日本 大井町駅、長野オリンピックのアイスホッケーB会場、当社開発の掘削機を使用した長大トンネルの金田一トンネルなどの工事を手がけています。

ヨコハマグランド
インターコンチネンタルホテル

饭田ダム
2010年、ゼネコンとして初のエコ?ファースト企業の認定を取得。2015年には含羞草传媒グループグローバルビジョン「“喜び”を実现する企業グループ」を策定。また、優れた気候変動対策を行う企業として世界的な評価を受け、「CDP Climate Change A List企業」として認定。建設業界で初めて国際的イニシアチブ「RE100」にも加盟しています。
この时期には、丸の内オアゾ、宫崎県木の花ドーム、东海大学医学部付属病院、熊本県上津浦ダム、みなとみらい线马车道駅などを施工しています。

TODA BUILDING